自動車ディーラー営業の実態 かなり前のお話ですが…

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自動車ディーラー営業の実態 かなり前のお話ですが…

自動車ディーラー営業の実態 かなり前のお話ですが…

私は大手の自動車ディーラーに12年もの間勤務していた経歴があります。皆様も新しい車を買う際には、ディーラーの営業と直接お話をすることになると思います。自動車ディーラーの営業マンとはどのような人物なのか、ちょっとだけお話ししてみます。相手を知ることで、買う側の皆様もいろいろと作戦が立てられるかもしれませんからね。

私が勤めていた時代

私は昭和58年に内定をもらい、会社のパンフレットをいつも眺めていました。今考えてみると驚きですが、その中には、ランクル40やスタウトなどの車も現役で販売されていて、かなりの数の車がありました。メーカー、地域とも、かなりの大手といえる所でしたので、心ウキウキで入社したのを覚えています。配属は中古車のマイカーセンターでしたが、当時はまだ定休日もなく、休みのスケジュールは各月ごとに決めていました。私は高校時代にサービス業のアルバイトをしていた関係もあり、日曜日に休みたいという願望はこれっぽっちもありませんでした。自動車ディーラーに勤務しようと思っているなら、日曜日の出勤は必須になるでしょう。今は定休日の制度も普及してきましたので、休みも取りやすいと思いますが、当時は車が売れてくると殆ど休めないという状況になりがちでした。書類を揃えたり、新しいナンバープレートを取得したりという仕事の他に、展示場の車も手入れをする必要がありました。月に1-2回は会社の主催するイベントがあり、上司からはイベント前には車を並べ替えて洗車をしてワックスをかけ、旗を新しくしてワンポイントのメッセージも書き直すようにと指示されていましたので、車が売れなくてもそれなりに忙しい感じがしましたし、売れてくるととても忙しくなりました。

ノルマは一応あった

車の営業と聞くと、ノルマが大変でしょう、と誰もに言われますが、私の場合は新車の営業ではなく、中古車の営業でしたので、それほどきついノルマはありませんでした。ただ、一応会社の中で一人の営業としてカウントされていましたので、目標値はありましたが、高校を出たての小僧でしたので、それほど会社も私たちに期待はしていないようで、いいところ月に3台位売れればいいですよ、みたいな感じがありました。実際問題、日曜日出勤していて、普通の日もいつも展示場にいるようにしていると、お客さまがやってきてくれて、否が応でも数台は売れたものでした。私の勤めていた会社は一応販売台数に応じた実績給がありましたが、これを貰わなくても、基本給だけで何とか生活はできていました。実家から通っていたのでできたのだとは思いますが、自分の車の支払いに苦労したのは覚えていますが、生活するにあたってのお金に困った記憶はありません。

まとまった休みがあった

私の入った会社は、とても長い休みがありました。ゴールデンウィークや夏休み、正月などには、10日位休みがある年もありました。私は高卒で入社した会社がこんな感じだったので、どこの会社もこのくらい休めるものかと思ってしまいましたが、この休みはとんでもないものだったということを、後に思い知らされることになります。普段は週休二日の同級生と比べればそれほど多くの休みはありませんでしたが、盆暮れ正月には、一休みすることができました。今の時代からは少し考えられない状況があったかもしれません。

会社に対する忠誠心

問題はこの辺りからになりますね。私は以前から、会社に対する忠誠心はほとんどありませんでしたし、出世欲もありませんでした。従いまして、車を一台でも多く売って、上司に認められ、ゆくゆくは出世コース、取締役か重役か専務か、なんてことは微塵も頭の中にはありませんでした。通常なら上司の言う事を素直に聞き、商談の際には値引きの幅をきちんと守り、利益をしっかりと挙げなければならないのですが、私なんかは最後の辺りには「私はお客様と会社との間に入って、一番いい条件をご提供しますから」などと言いながら、所属長決済のギリギリか、首の飛ばないスレスレあたりの条件をいつもお客様にご案内していました。これは、退社する寸前に、とある分野に特化した拠点で新車を販売していた頃のお話です。会社にとってはあまりよくない営業だったと思いますが、お客様にとっては大変有り難い営業だったと思います。とにかく、o型のなせる業なのか、会社に対する感謝や忠誠心が全くなかったので、値引きに関してはかなりいい加減な感じで取り組んでしまっておりました。終いには、もういいや、という感じになってしまい、サラリーマンを辞めて、自分の考える道を進み始めてしまいました。後悔はしていませんが、このようにいろいろなことを学ばせていただいたので、今更ながらですが、勤めさせていただいた事に感謝などしている次第であります。

総合談

生命保険の営業と車の営業はコロコロ変わる、などと言われることがあるように、自動車販売の営業はしばしば変わります。退職する者も多いですし、同じ都道府県内でも転勤になることがあります。私は結構義理堅い方で、一度お売りしたお客様とは可能な限りでコンタクトを取っていたかったのですが、会社の方針による転勤命令が何度か発令されたりして、引継ぎをしたりはしたものの、なかなか上手くできずに、お客様にはご迷惑をおかけしてしまったかもしれません。ただ、営業も人の子ですので、一度買っていただいたお客様は大切にしたいという、このような気持ちは一応持っていると思います。反面、会社に所属していますから、会社の言う事は絶対に聞かねばなりません。このような狭間を漂っているうちに、私の場合は強いエゴが発生して、退職という結果となってしまいました。私の場合は営業として活動していたのが18歳から22歳、その後は30歳前の数年という比較的若い時期でしたので、これがもう少し後だったら、また少し違った感じでご案内できたかもしれません。今、私の住んでいる地域では、自動車ディーラーの営業職も大学を卒業しなければできないようです。また、最近では勤務体制も整えられてきて、定休日が設定されたり、工場フロントは予約しなければ整備を受けてくれなくなっています。かつてのフロントマンは事故見積もりを全て手書きしたりしていましたが、そんなこともないようですね。いろいろと仕事を取り巻く状況は変わってきましたが、本質的には人対人、変わることはありません。最後の最後に一つだけアドバイスです。商談がまとまらないで困っているなら、この一言で最後の値引きを獲得して下さい。それは「知り合いがいたらまるまるさんに紹介しますから、もう■万円、最後にお願いします!」と、言ってみてください。そして、実際に車が欲しいという人がいたなら、情報だけでもいいので、流して上げて下さい。きっと、満額は無理にせよ、言い値の半分くらいは値引きをしてくれると思います。

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